1992年10月30日。スーパーファミコンにて、我らが『真・女神転生』が発売された日である。その当時、日本はバブルがはじけ不況の真っ只中にあった。その様相は「円高不況より深刻」とまで言われていたほど。株と土地は暴落し、経済対策が急がれた時期である。設備投資と個人消費は大幅に落ち込み、暗雲が日本列島を包んだ。
92年当時は故・宮沢喜一が首相をつとめていた。1月時点での内閣支持率は40.3%だったが、不支持率は43.2%、支持率を不支持率が上回る状況だった。その1月、宮沢首相は訪韓し、“朝鮮人従軍慰安婦問題”について公式に謝罪している。捏造された歴史問題は、このときすでに始まっているのである。
そして、政治で大きな変動のあった年でもあった。佐川急便から5億円もの献金を受け取ったとして、当時自民党副総裁であった金丸信が議員を辞職、所属していた竹下派は後継会長をめぐる抗争で、「小渕派」「羽田・小沢派」などに分裂した。このスキャンダルを受け、宮沢政権の支持率は急落、11月には支持率が20.1%まで落ちてしまった。
PKO法案の記名投票では、社会党と日本共産党が“牛歩戦術”で抗戦したことが話題となった。これは投票箱まで牛のようにノロノロと歩き、採決を長引かせるという非常に馬鹿げた作戦で、戦術というよりは子供が駄々をこねている状態に近い。はっきり言ってなんの意味もないし、まったくの時間の無駄、大多数の国民の失笑を買った。
スポーツ界はバルセロナ五輪もさることながら、貴花田と宮沢りえの婚約が世間を騒がした。貴花田とは、のちの貴乃花のことである。当時の若貴ブームもあいまって、連日ワイドショーはこの話題で持ちきりだったが、結局この婚約は破談となる。
92年当時の日本の総人口は1億2358万7297人であった(ちなみに世界人口は54億人)。この当時からすでに日本では少子化と高齢化の加速が問題となっており、100歳以上の老人は4000人を突破している。一方で、きんさん・ぎんさんという老人アイドル(?)が国民的人気となるなど、面白い現象が起きた年とも言えよう。なお、姉さん女房の増加は、女性の晩婚化傾向を示すデータと見れる。
電機業界では任天堂がまさに一人勝ちしていたような時代であった。経常利益は電気機器最王手の松下電器産業を追い抜く見通しとなった。主力はスーパーファミコンで、売上高は2774億円、通期で8年連続の増収増益になった。スーパーファミコンは日本だけでなく、米国や欧州でもブームに火がついたのが大きい。またゲームソフトも『ストリートファイター2』や『ドラゴンクエスト5』がミリオンヒットとなった。当時の任天堂の社員数は890人程度。従業員一人当たりの経常利益は9000万円である。
任天堂が景気にわいている一方で、一部企業では不況の影響で冬のボーナスを現物支給にするという行動に出たところもあった。「98王国」を築いたNECは管理職のボーナスの一部を自社製品の引換券で支給するという苦肉の策に出る。これに刺激を受けてか、三洋電機も部長級以上に引換券の現物支給を実施、電機業界の不振を印象付けた。
レコード業界ではミリオンセラーがとにかく目立つ年であった。米米クラブの『君がいるだけで』の276万枚をはじめ、ミリオンセラーとなったCDはシングル・アルバムあわせて25枚にもおよぶ。前年をはるかに上回るヒット現象である。背景にはカラオケボックスの普及やタイアップの定着があり、シングル売り上げベスト10のCDはすべてタイアップがついている。しかし当時からタイアップ現象は音楽が一過性のものとなってしまうとの危惧がされており、それは現在の状況に見て取れる。
ワイドショー関連では韓国のカルト教団・統一教会の集団結婚式に話題が集中した。というのも、女優の桜田淳子や元新体操五輪選手の山崎浩子ら日本の有名人の参加があったため、マスコミが集中的に報道したのだ。強引な会員勧誘や、独断的な教義、霊感商法への批判など、さまざまな議論が展開され、報道された。しかしこの加熱ぶりが逆に、統一教会のアピールにつながってしまったのではないかという逆説的な見方も強い。
『真・女神転生』だけでなく、数々の名作RPGがこの年発売された。特にスーパーファミコンで発売されたゲームについては200万本セールスも出るなど、とにかく売り上げが凄まじい。『ドラゴンクエスト5』はスーパーファミコン初お目見えで、モンスターを仲間にできるシステムなどが話題になった。『ファイナルファンタジー5』はスーパーファミコンでは2作目ということもあってか、前作以上にパワーアップしたグラフィックが話題を呼んだ。個人的には、いち早くメディアをCDへ移行していたPCエンジンで発売された、『天外魔境2』に思い入れが深い。ロムカートリッジのゲームとは比べ物にならないダイナミックな演出に驚いた人も多く、PCエンジンのハード普及の牽引役にもなった。
もうひとつ特筆すべきことは、当時のスーパーファミコンのゲームの値段である。9500円、9800円という高価格はすでに当たり前で、その後は1万円を突破するなど、どんどん価格は上がっていった。開発費の高騰など理由は色々あったのだろうが、噂では任天堂の取り分が非常に高かったから、という話も当時からチラホラと聞かれていた。このような価格の上昇が、のちの任天堂離れの一因にもなったのかもしれない。
今や長寿番組となった『クレヨンしんちゃん』が放映スタートしたのがこの年。10年以上も同じアニメを作り続けるという制作体制は並大抵のものではない。また週刊少年ジャンプは連載が7年を迎えた『ドラゴンボール』をはじめとし、TVアニメ化された『幽遊白書』、全国にバスケ少年を大量生産した『スラムダンク』の3本柱で安定期に入っており、発行部数はおよそ630万部と、信じられない大記録を樹立していた。これらの漫画以外にも、『ドラゴンクエスト5』発売の関係もあり、『ダイの大冒険』や、連載が200回を突破した『ろくでなしBLUES』なども人気があった。
さらにジャンプは若貴ブームにあやかり、小畑健が若貴を主役にした『力人伝説―鬼を継ぐ者―』という漫画を連載している。しかしその一方で、作者のペンネームからしてすでに相撲を完全にナメ切った異色作『大相撲刑事(ガチョン太郎)』というギャグ漫画も連載がスタートしており、何か複雑なものを感じた読者も多かったはず。またのちの連載作家となるつの丸や藤崎竜が読みきりでこの年ジャンプデビューを果たしている。
こうした新人が活躍する一方で、かつてジャンプを引っ張ったベテランが苦戦をしているのも特徴だろう。『SILENT KNIGHT翔(車田正美)』がその代表だ。前作『聖闘士聖矢』と似たような設定で殴り込みをかけたものの、見事10週で打ち切り。かつてのファンの涙を誘った。