類がいまだ地上の覇者であった時代、すなわち199X年までの世界では、科学文明が絶頂を誇っていた。そこでは、悪魔という言葉は、一部の好事家(こうずか)や変人、宗教関係者にしか重要な意味を持たなかった。また人類は、地上のほとんどを踏破し、宇宙にまで進出しようとしていた。その中で日本は、好不況の波こそあれ、おおむね無事で平穏な時代を堪能していた。その当時、人類史上稀に見る“無宗教国家”を築き上げてきた日本人は、戦後教育の成果もあり、霊的な物事に対して驚くほど鈍感になっていたのである。
日本人の不可視なる存在への警戒は、無に等しかった。「鰯の頭も信心から」というが、信仰がなければ、どれほど強力な護符も、魔除けも、効果がない。ましてや当時は、習慣が次々と失われ、人が霊に無防備・無教養になっていた。こんな状態では、隣人が神であろうが悪魔であろうが、「気のせいさ」とつぶやいて、見過ごしてしまうに違いない。この当時の日本には、悪魔が跳梁する絶好の土壌が育まれていたのだ(今になって考えてみれば、これはヘブライ神族の計画によるものだったのかもしれない)。
日本という国は、科学による恩恵を最大限に享受する一方で、着実に異界からの浸透も受けた。現在の研究では、当時の日本には、世界の他地域の100倍以上もの悪魔が出現していたとされている。さらに、出現した悪魔のバリエーションに関しても、日本はトップをひた走っている。だが“無宗教国家”にこれだけ悪魔が集中したのは奇異なことではない。“宗教の真空地帯”であったからこそ、多種多様な悪魔に跳梁の余地があったと考えられるからだ。もっとも、土着の神々とヘブライ神族をのぞく悪魔の活動は、都市部のみに限定されていたようではあるが。
太古から渡来文化を吸収することに熱心だった日本民族は、新たな文化にすぐに慣れ親しむという特質をそなえていた。そのため、怪しげな新興宗教が勢力を増しても(メシア教とガイア教の萌芽はすでにこの時代からあった)、大半の人々はさしたる興味も持たず、すぐに忘れてしまったのだ。モラルは新たな夜が来るたびに失われ、享楽的な思想が国民全体を支配した。自らを律することを忘れていた当時の日本人は、ひとり残らず悪魔の影響を受けていたのかもしれない。
だがしかし、日本が完全に悪魔の支配下にあったわけではない。悪魔の存在を警告し、それに対抗した人々もわずかながらにではあるが、存在した。特筆すべきは、この時期に日本で開発されたとされる“悪魔召喚プログラム”である。この、謎に包まれたソフトウェアに込められた開発者の意図は定かではないが、ある日ゲームなどの形態をとって忽然とネットワーク上に公開された。ネットにつないでいた者であれば、誰もが自由にダウンロードでき、さまざまな用途に使用された。むろん、自分の利益のために悪魔を召喚し、これを使役する者は多かった。もしも開発者がこうなることを意図してプログラムを流布させたのであれば、それは成功したと言えるだろう。だが、少数ではあるが、悪魔召喚プログラムを利用して悪魔に対抗しようと試みた勇敢な者もいたらしい。
劇的な変化こそ訪れなかったものの、この悪魔召喚プログラムの一般への流布こそが、崩れきった霊的バランスへのとどめの一撃であったことは、疑いの余地はない。今までは一部の魔道熟達者のみに限られていた悪魔召喚が、日本各地で爆発的におこなわれはじめたのである(同様の現象は世界各地でもほぼ同時に発生した。ネットワークを通じて、プログラムが海外に流出したためである)。この現象を食い止めようと、悪魔召喚プログラムを駆使する青年たちや優秀な霊能者らが奮闘したが、それはのちにやってくる破滅の到来を一日か二日遅らせただけにすぎなかった。当時の状況から判断するに、この戦いは絶望的なものだった。跳梁する魔界の軍勢相手に、ひとにぎりの人間の力がなんだというのか。さらに、悪魔との接触におけるノウハウが圧倒的に不足していたため、志半ばにして無念にも倒れるものが続出した。
こうして日本全土、特に都市部は、半魔界と化した。ヘタに霊能力があろうものなら、たちまち発狂してしまいかねないほどの悪魔たちが東京に押し寄せ、夜の公園を、墓地を、繁華街を跋扈し、争いや欲望の種をまきちらした。しかし霊的に鈍感になっていた大半の日本人は、それでも「なにか変だな」と考えるだけで、決して悪魔の存在を認めようとはしなかった。
月ともなると、東京ではときおり実体化した悪魔の姿があちらこちらで見られていた。この事実は日本政府の判断で一般には厳重に秘匿とされたが、政府機関は悪魔についての研究に着手し、恐るべき事実を知った。東京に始まったこの現象は、いずれは日本全土、いや近い将来には世界中に波及するであろうことを、である。むろん、科学的な根拠のある話ではない。魔術や悪魔を科学的に解明するには、魂の実在を物理で証明するのと同様、基礎研究が圧倒的に不足していた。今まで非科学的と嘲られてきた、霊能者や預言者に日本政府が頼ったところに、その困惑ぶりが見て取れる。しかし隠し事などというのは、いずれは知れ渡るものである。悪魔の犠牲者(この当時よく出現していたのは下級の暴力的な悪魔が多かった。これらの悪魔は下劣な意識を好むことから、当時の日本人の意識レベルを推し量ることができる)が加速度的に増えるにしたがって、大衆の間には真実と恐怖が広がった。中には自衛のために武器を求める者も出始め、常になんらかの銃器や刀剣を持ち歩く者も少なくはなかった。当然ながら、ここ数日のうちに、東京の治安は最低クラスにまで落ちた。
各宗教へのにわか信者が増え始めたのもこの時期である。神社や教会の門前には、信者が列を作っている様子も珍しくはなかった。以前は新興宗教としか見なされていなかったメシア教とガイア教は、悪魔への実践的な対処法を、習得しやすい形で信者に伝授したため、たちまち勢力を拡大した。本来ならこの宗教ブームを笑うべき立場にいる諸外国は、自国内に出現した悪魔への対処に追われ、もはや日本どころの騒ぎではなかった。そのうちに諸外国は食糧・石油の輸出に大幅な規制をかける保守主義へと傾倒するようになり、資源のない日本は深刻な食糧不安に陥った。
悪魔の出現に加え、日本政府による情報規制、なにより食糧危機と石油危機の不安に苛まれた日本では各地で暴動が頻発、大混乱に陥り、状況は警視庁におさえられる限度を越えた。この状態を憂いた自衛隊の青年有志一団は、国粋主義者で名を知られていた後藤某を司令官とし、電撃作戦でクーデターを実行。国会議事堂をはじめとする政治の中枢地点の占拠に成功すると、都内に戒厳令をしいた。あたかも二・二六事件を思わせるこの軍事行動は、目撃談によれば悪魔の姿も見られたという。とにかくクーデターは成功し、一時的であるとはいえ、東京は軍事政権下におかれたのである。
関西に脱出した政府首脳陣は、米軍に“反乱部隊”の鎮圧を要請、依然として日本の同盟国であった米国は、市街戦用の特殊部隊を横須賀から上陸させ、都内に睨みをきかせた。しかし東京突入の気配はなく、両軍は散発的な戦闘を繰り広げるにとどまった。このとき、両軍から支持者の間に強力な火器が配布されたため、関東周辺の治安はまさに最悪のレベルにまで低下した。同時に、悪魔の跳梁もますます激しくなり、日中堂々と物質化して市街をうろつくようになっていたため、無理なからんことなのだが、これは多少なりとも常識を残している民間人を疎開させる原因ともなった。
東京の人口は瞬く間に減少し、かつて繁栄を誇った都市は、いずれは巨大なゴースト・タウンになるだろうと予想された。もちろん、悪魔を利用する自衛隊と、日本再占領をもくろむ米軍、その双方に抵抗するレジスタンスも存在はしたが、勢力は微々たるものでしかなかった。しかし、後世に花開く悪魔との戦闘方法のノウハウはこの時期に培われた。また人間の間に、悪魔をも凌ぐ戦闘能力、魔術能力に覚醒した人間が出現し始めたのもこの頃であった。
“天敵”の存在は、種の進化を爆発的にうながすものなのだろうか?悪魔が人間の“天敵”であるかどうかの議論はおくとして、はじめて種の存続を脅かす存在と相対したことで、ヒトという種の潜在能力が爆発的に開花したのだと考えたい。
世界的なレベルで見ると、この東京に戒厳令がしかれていた期間が、もっとも人類が混乱していた時期だということが分かる。ヨーロッパから中東にかけては、堕天使の軍団が跳梁し、暴走した軍人の独断による核攻撃によって、幾多の都市が、人命が失われた。特にパレスチナをめぐる戦争はすさまじく、地図を書きかえねばならないほど地形が変化した。アフリカや南アメリカでは飢餓が深刻化し、土着の神族と外来の神族との戦いの余波を受け、人間の間でも戦争が開始された。比較的安定を保ったアジア・北アメリカでも、悪魔の活動と民衆の不安により、陰惨な事件が続発した。
そして東京における対立は、ある日、米軍が発射した数発の核ミサイルによって終結した。なぜ米軍が自国の部隊をも巻き込むような核を東京に撃ち込んだのかについては、現在でも解明されていない。
京の首都機能は、ICBMによって一瞬のうちに崩壊した。あとに残ったのは、瓦礫の山、山、山である。小型の戦術核であったとはいえ、もろい日本の建造物を破壊するには十分であったようだ。日本の首都は京都へと戻り、かつてのように霊的守護を備えた国へ復帰する長い道のりを歩み始めた。とはいえ、人類はすでに過去の栄光を失っていた。好む、好まざるとにかかわらず、各地に強力な悪魔が出現する現状では、人は悪魔と共存する道を模索せざるを得ない。
10年。
20年。
30年の時間が過ぎた。
時の流れと共に、人々はいつしか悪魔を隣人とする日常に慣れていった。世界全土では、悪魔を包括した、あるいは排斥した新たなる秩序が、試行錯誤の末に確立されていった。過去に幾度か“悪魔”とされる存在と接触していた種族的記憶が功を奏したのだろうか?また宗教の働きも大きい。現代(大破壊後)こそが“審判の時代”であり、このあとに神の千年王国が到来すると説くメシア教。悪魔との共存の時代である現代こそ世界本来の姿であると主張するガイア教。世紀末世界で爆発的に信者を増やした両教団は、主張こそ正反対であるが、悪魔の存在を前向きにとらえ、現実的な手段でアプローチした。その思想が人々に与えた影響は計り知れない。そして、テスト・ケースとして人類に進むべき方向の示唆を与えたのは、世界で初めて悪魔の猛威にさらされた都市・東京であった。
核の炎に包まれた東京は、一時は死の都となった。しかしICBMの洗礼から十数年後、メシア・ガイアの両教団の信者が移住を開始した。東京という地には、人を招き寄せる磁力のようなものがあるのか?(もっとも、メシア教はカテドラル建設のために広大な空地を必要としていたという一面もあるが)一度火がつくと、東京の復興は早かった。日本各地から難民が流入し、あちらこちらに定住を開始した。
多数の強力な悪魔の根拠地でもある東京は、決して人の生存に適しているとは言えないのだが、しかしメシア・ガイア教に導かれた信者や、他の比較的安全な地域から追い出された人々には、他に逃れる場所がなかったのだ。人間は、悪魔をメシア・ガイアといった宗教に吸収し、崇めることによってなだめた。そして、東京を一大宗教都市として復興させたのである。この、あたかも不死鳥であるかのような復活が、のちに神と悪魔の最終決戦の舞台になろうとは、誰が予想しえただろうか。
々に復興しつつあった東京では、メシア教とガイア教の対立が日に日に激化していった。元々正反対とも言える宗旨の二教である。対立は自然の成り行きであろう。そして、その直接の引き金は、メシア教の“千年王国計画”だった。
千年王国。それは世界の終わり、黙示録の時代に訪れる、ヘブライ神族に率いられたメシア教徒たちの楽園。唯一神に忠実な民のみを救済し、その他の人類は滅ぼすという、選民思想に立脚した壮大な計画である。メシア教は、真の意図を隠してカテドラルの建設を急いだ。しかしガイア教とてマヌケではない。メシア教の計画を察知すると、千年王国の到来を阻止する準備に取りかかった。双方は、最強クラスの使徒や魔王を召喚し、東京周辺で激しい争いを繰り広げた。
両教に直接の関係がない者も、うやむやのうちに始まったこの全面戦争に巻き込まれていった。メシア教の司令塔であり、黙示録の時代におけるノアの箱舟でもあるカテドラルをめぐる激しい攻防は、連日繰り広げられた。それは、さながら伝説の神々の黄昏、“ラグナロク”のような光景であった。悪魔を召喚し、従える術を習得した人類の、美しくも儚い最期の晴れ舞台。無数の人や悪魔が、魂を根底から消去され、輪廻すら許されない死を迎えた。そして激戦と熱狂が最高潮に達したとき、まずあらゆる音をかき消すような轟が、続いて巨大な津波が、戦場をさらい、呑みこんだ。“審判の日”が到来したのだ。
東京を、ロンドンを、北京を、大洪水が襲った。水に覆われなかった都市は、神の怒りの雷が降り注がれ、滅びた。全世界が、一瞬にして滅びた。そして、その災害のさなか、世界各地に設けられた文明の証しは、次から次へと崩壊していった。ラグナロクに勝者はいなかったのか?
わずかに生き残った人類は、再び復興を始めるだろう。だが、この神と悪魔の戦いの名を借りたジェノサイドの果てに、一体何が残ったのだろうか?人類は、少しでも前進できたのだろうか?
その答えを見い出せるのは、歴史を変えられるのは、今このレポートを読んでいる、君だけなのかもしれない。