日本一のターミナルを誇る新宿駅を中心として、西口と東口とに分かれて広がる都内一の繁華街。その名の由来は江戸中期、甲州街道に新しくできた宿場町が徳川家康の家臣であった内藤氏所有の土地であったため“内藤新宿”と呼んでいたことからきている。明治初期までは甲州街道と青梅街道に沿った寒村にすぎなかったが、明治18年(1885)に木造の小さな新宿駅ができ、大正末期以後は急速に発展して、山の手銀座と呼ばれる交通・商業の一大中心地になった。現在新宿駅はJR山手線・中央線・埼京線などのほか、地下鉄丸ノ内線や私鉄の小田急線などが乗り入れ、一日の乗客数は東京駅を上回る。
■秘密研究所
- 千駄ヶ谷の一角にある、なんの変哲もないビル。しかしこのビルこそ悪魔召喚プログラムの開発者であるスティーブンが潜伏していた場所である。ターミナルを通じて魔界から次々に悪魔がやってくるためか、現在では悪魔の巣窟と化している。
■スタジオアルト
- 普段は街頭ハイビジョンとしてテレビ番組やコマーシャルを流しているビルなのだが、現在はクーデターを起こした後藤の一派に占拠され、後藤の演説が延々と流されている。
■新宿西口・東口
- 西口側は高層ビルが建ち並ぶオフィス街、東口側は店が軒を連ねる歓楽街となっている。現在はメシア教とガイア教というふたつの新興宗教が、新宿界隈で勧誘活動を活発化させているらしい。なお新宿駅はクーデターの影響で全線がストップしている。
■都庁
- その高さは243メートルにも及ぶという、東京の顔。周辺にはヒルトンホテルやワシントンホテル、ホテルセンチュリーハイアットなど高級ホテルが建ち並ぶ。この辺りはオフィス街なので、夜には不気味なほど照明がなく、暗い。ゆえに悪魔も忍びやすいのか、ビル郡は悪魔のねぐらと化してきつつあるようだ。
■小澤の隠れ家
- カオスヒーローの宿敵である小澤の住処。西新宿八丁目にあたる。後藤の手先としてこの辺りで活動しているようだ。
■市ヶ谷駐屯地
- 陸上自衛隊東部方面総監部。現在は後藤を司令官とし、後藤の思想に共感した自衛官らにより統制されている。
■四ツ谷地下道
- 戒厳令の影響で、地下道を経由しないとアメリカ大使館へ入れない。通行するにはIDカードが必要だが…。
■アメリカ大使館
- 本来は海外のVIPを招く迎賓館なのだが、現在は米軍により占拠され、アメリカ大使館として機能している。大使のトールマンは後藤の抹殺を企てているようであるが、その背後にはもっと巨大な何かがある。かつて日本に原爆を投下することを決定したトルーマン元大統領と名前が似ていることも気になる。
■新宿御苑
- かつて信州高遠藩内藤家下屋敷があったところである。明治5年(1872)、農業・蚕糸の技術改良を研究する内藤新宿試験場が設けられたが、その機能は西ヶ原の農商務省の農事試験所・高等蚕糸学校に移った。昭和24年(1949)から一般に開放され、観桜・観菊の園遊会に利用されている。広大な庭園の中には日本式庭園のほか、英国式庭園、フランス式整形庭園などがある。都会のオアシスのひとつ。
■明治神宮
- 明治天皇・昭憲皇太后の二柱を祀っている。かつては加藤清正の下屋敷であったが、明治維新以後政府が保管し、明治22年以後は皇室御料地となった。明治神宮は大正4年(1915)に着工し、大正9年に竣工して鎮座祭が執行されているが、建設当時の社殿は昭和20年(1945)の戦災で焼失してしまっている。再建したのは昭和33年(1958)のことである。
■神宮外苑
- 大正4年(1915)、国民の献金により明治天皇記念施設が青山錬兵場跡に10年の歳月をかけて造られた。国立競技場、神宮球場、明治公園に隣接している。外苑には聖徳記念絵画館があり、明治天皇御一代のできごとを描いた日本画、洋画80点が陳列されており、有料で一般に公開されている。
出現悪魔
LV4 地霊ノッカー
LV6 妖精ゴブリン
LV6 地霊コボルト
LV7 妖鳥ハーピー
LV8 魔獣山揮
LV6 屍鬼ゾンビコップ
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LV7 幽鬼お七
LV7 屍鬼ボディコニアン
LV8 凶鳥フケイ
LV8 邪鬼呑口
LV10 屍鬼ゾンビアーミー
LV11 邪鬼オーク
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