酒呑童子と書く。平安時代、京の都に出没したという鬼。平安京のデビルバスター・源頼光と四天王によって、毒入りの酒を飲まされるという奸計にはまり、倒された。
酒呑童子を鬼と呼んだのは朝廷の人間たちで、地元での彼の人望は篤かった。大江山では彼の命日には「鎌止め」といって、一切の刃物を使わずに鬼の冥福を祈るという。さらわれた京随一の美しい姫というのも、酒呑童子の妻となっていたのだが、都には戻らずに夫の菩提を弔ったという。
馬頭鬼と書く。ヤクシャ族、地獄の門卒。牛頭鬼とペアで拷問をおこなう。悪人には恐ろしい存在だが、やましいことが無ければ安全である。
牛頭鬼と書く。馬頭鬼と同様ヤクシャ族の地獄の門卒で、ヤマの眷族である。地獄の牛頭の鬼というと、死者を貪り食うパレスチナの魔王、モロクを連想させる。
ヤクシャの女性形。ドラヴィダ人の豊穣の女神であり、豊満で美しい裸体が古い彫像に数多く残されている。
仏教ではヤクシャと同じようにクヴェーラ神のもとで財宝を守る神の使いであるが、ヒンドゥー教では恐ろしい人喰いの化け物に貶められた。子供をさらって食べることもあるという。元来ヤクシニーは豊穣神として常に再生する活力を象徴し、木を育てる力を持っていた。これが発展してガンガー、ヤムナ、サラスヴァティの河の三女神になったとの説もある。
能で鬼女の面のことを般若面というが、これにはふたつの意味がある。ひとつは半蛇として、半分だけ蛇=鬼と化した姿である。もう一つは般若心教のハンニャである。ハンニャとなる彼女らは、半ば鬼になりかけるまで嫉妬や強烈な恋慕によって心の葛藤に苦しみ、救いを求める。そして最後には仏の教えによって救われる。般若とは「知恵」の意味なのだ。真の知恵はすべての迷いを消し去るということだ。それは本当に救いを求める魂によって知ることができるのである。
一切空という般若心教の教えは、物質世界のすべての価値を一旦幻として退け、真に価値あるものはなにかということを探るものである。
古事記においてニニギノミコトの天孫降臨のときに現れた、井戸の守護者である妖怪。長い尾が生えており、半ば魚のような姿である。
地下水脈は日本の地底を縦横に巡り、イヒカはこの水脈を通ってどこの井戸にも移動できる。そして井戸を通じて人々を護っているという。昔の神霊は光ものと捉えられていたようで、井戸の中で光っているため「井光」からイヒカになったと思われる。